壱号ブログ
雨月のブログです。BLサイト「イチゴウニゴウ。」運営中。
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ゴッシーも五十に見えねぇなぁ
私のこのドラマにおいての滋子に対する第一印象ははっきり言って最悪でした。「私は家に縛られず自分の好きなように生きる」だの「私は好いた男なら、盗人でも乞食でも嫁に行く」だの……この世間知らずの甘ったれお嬢様め! お前を見てると去年の悪夢を思い出して胸くs…略 と。
で、その後も……忠正おいたんたちが一族のために斬首された後、時子から「御家のために尽くせ」と説教されても「え? なんでいきなりそんなこと言うの???」とほざいたり、相変わらず「私の心は私のもの」理論は変わらず、御家の迷惑も考えずゴッシーのベイビーを孕んでおきながら「あちし、天パだから御嫁にいけない><」とほざいたり……こいつ、ホント自分の心(笑)以外どうでもいいやっちゃなぁ! と呆れることしきり。
そして、ゴッシーの嫁になってからは、突如何の前触れもなく腹黒化したり、万呂化したり、野心家に変貌したり何だりとキャラがコロコロ変わって何が何だかわけわかめ! 状態。
そんな滋子のサヨナラ回。このドラマのお約束、死期が迫ったキャラには突如そのキャラの活躍シーン&称賛シーンが挿入されるから、それを見れば、滋子への悪印象が消え、キャラが定まったりするのか?! と思ったわけですが……やっぱりそんなことはなかった。。。。
まぁ、確かにゴッシーと清盛の架け橋となるために色々してるシーン(特に、無言になってしまった清盛とゴッシーにそれぞれ酒を注ぐとこなんか、滋子にしかできないことって感じが良く出ていて秀逸)はありましたが……それでも、なんかキャラがぼやけてるんですよね。
何でだろう~と色々考えたわけですが……多分、滋子の挫折、苦悩を一切描いてこなかったのが大きいのかもと。
作中でも言われているとおり、ゴッシーと清盛の架け橋を務めていた滋子の役割はとても大きなものでした。そして、役割が大きいだけにその役目はとても大変だったはず。……例えば、「家なんかに囚われず、私は好き勝手生きるの!」なんて甘ったれたお嬢様思考では務め切れないほど。
なのに、滋子はこのお花畑思考が治ることがないまま、お嫁に行きました。そして、その自由奔放さがいい! ブラボー! と周囲から絶賛され、ゴッシーから愛されまくる。
このお花畑思考で大きな失敗をすることも、平家とゴッシーに挟まれて葛藤することも一切なく。。。
……こんなこと、絶対ないと思うんですけどね。それこそ、重盛並に悩んでたはず。それなのに。。。
なので、この滋子というキャラは非常に現実味がなく、薄っぺらい感じに思えてしまったのかもしれません。
で、そのお相手ゴッシーは……。
滋子が病に倒れて看取るまでを描いて欲しかったなぁという気がしました。いきなり死んだシーンだったから、ゴッシーがどんな気持ちで滋子を看取ったのかが分かりづらくて……まぁ、あの今様で説明したことになってるんでしょうけど、それでもちょっと抽象的過ぎて。。。
あそこははっきりさせて欲しかったなぁ。もし滋子が「私がいなくなっても平家と仲良くね」とか言って死んでた、なんて描写があったりしたら、その後のゴッシーの言動に対するイメージがだいぶ変わるわけだから。
でも、ゴッシーが滋子に話した、今様が好きな理由はなかなかいいなと思いました。清盛が創ろうとしているものに比べて、何の役にも立たないけれど、心を楽しくさせてくれる。だから大事にしたい。これは、ちまちまと何か書いてる者としてとても共感できました。
そうだよね。いくらいい話書いたり読んだりしたって、腹がいっぱいになるわけでもないけれど、それでも「面白かった」とか「楽しかった」とか思ったり思われたりしたら、それはとても幸せなことだし、大事にしたいよなぁ。。。
それから、清盛。
最近のこの人の、自分に都合のいい解釈しかしないっぷりは異常!
先週も兎丸の「お前とはやってられない! お前のしてる国づくりは盗人が物を盗むのと同じだ!」なんて科白が今生の別れの言葉だったってのに、兎丸が死んだ後、「俺の夢は兎丸の夢だった。だから、俺は死んだ兎丸のためにも成し遂げなければならない!」だなんて言ったりして、え? え? と思いましたが、
今週も「今は亡き我が主も大事にしていた朝廷の行事をないがしろにするとは何事か!」と怒る西光に「信西殿だったらきっと、俺のやることに賛同してくれるさ」と平然と言いきったり、「滋子が死んだからって、俺は今のやり方を変えない! それが長年俺とゴッシーの仲を取り持ってくれた滋子への供養だ!」とか。。。
誰が何しようが死のうが、「俺は今のやり方を変えない! このまま突っ走る!」で「皆だって、それを望んでる!」ですからね。非常に性質が悪い。
これじゃぁ誰もついてかなくなるよ。。。
あと、地味ですが、忠清が切なすぎる。。。
武士としての精神を必死に若い世代に伝えようとしているというのに、「もはや平家に武芸なんざいらねぇよ」と言われて……この前、公明正大な判断を下したにも関わらず全員から非難された重盛のようなやり切れなさ、悲哀があって……こういう人たちが追いやられ、現在の栄華に驕ってる連中ばかりがのさばっていく。これじゃぁ、滅んじゃうわけだよ。。。
そういや、政子ちゃん、えらく小綺麗になって!
で、頼朝はいつになったら夢遊病者の徘徊のような散歩を止めるのでしょうか?
で、その後も……忠正おいたんたちが一族のために斬首された後、時子から「御家のために尽くせ」と説教されても「え? なんでいきなりそんなこと言うの???」とほざいたり、相変わらず「私の心は私のもの」理論は変わらず、御家の迷惑も考えずゴッシーのベイビーを孕んでおきながら「あちし、天パだから御嫁にいけない><」とほざいたり……こいつ、ホント自分の心(笑)以外どうでもいいやっちゃなぁ! と呆れることしきり。
そして、ゴッシーの嫁になってからは、突如何の前触れもなく腹黒化したり、万呂化したり、野心家に変貌したり何だりとキャラがコロコロ変わって何が何だかわけわかめ! 状態。
そんな滋子のサヨナラ回。このドラマのお約束、死期が迫ったキャラには突如そのキャラの活躍シーン&称賛シーンが挿入されるから、それを見れば、滋子への悪印象が消え、キャラが定まったりするのか?! と思ったわけですが……やっぱりそんなことはなかった。。。。
まぁ、確かにゴッシーと清盛の架け橋となるために色々してるシーン(特に、無言になってしまった清盛とゴッシーにそれぞれ酒を注ぐとこなんか、滋子にしかできないことって感じが良く出ていて秀逸)はありましたが……それでも、なんかキャラがぼやけてるんですよね。
何でだろう~と色々考えたわけですが……多分、滋子の挫折、苦悩を一切描いてこなかったのが大きいのかもと。
作中でも言われているとおり、ゴッシーと清盛の架け橋を務めていた滋子の役割はとても大きなものでした。そして、役割が大きいだけにその役目はとても大変だったはず。……例えば、「家なんかに囚われず、私は好き勝手生きるの!」なんて甘ったれたお嬢様思考では務め切れないほど。
なのに、滋子はこのお花畑思考が治ることがないまま、お嫁に行きました。そして、その自由奔放さがいい! ブラボー! と周囲から絶賛され、ゴッシーから愛されまくる。
このお花畑思考で大きな失敗をすることも、平家とゴッシーに挟まれて葛藤することも一切なく。。。
……こんなこと、絶対ないと思うんですけどね。それこそ、重盛並に悩んでたはず。それなのに。。。
なので、この滋子というキャラは非常に現実味がなく、薄っぺらい感じに思えてしまったのかもしれません。
で、そのお相手ゴッシーは……。
滋子が病に倒れて看取るまでを描いて欲しかったなぁという気がしました。いきなり死んだシーンだったから、ゴッシーがどんな気持ちで滋子を看取ったのかが分かりづらくて……まぁ、あの今様で説明したことになってるんでしょうけど、それでもちょっと抽象的過ぎて。。。
あそこははっきりさせて欲しかったなぁ。もし滋子が「私がいなくなっても平家と仲良くね」とか言って死んでた、なんて描写があったりしたら、その後のゴッシーの言動に対するイメージがだいぶ変わるわけだから。
でも、ゴッシーが滋子に話した、今様が好きな理由はなかなかいいなと思いました。清盛が創ろうとしているものに比べて、何の役にも立たないけれど、心を楽しくさせてくれる。だから大事にしたい。これは、ちまちまと何か書いてる者としてとても共感できました。
そうだよね。いくらいい話書いたり読んだりしたって、腹がいっぱいになるわけでもないけれど、それでも「面白かった」とか「楽しかった」とか思ったり思われたりしたら、それはとても幸せなことだし、大事にしたいよなぁ。。。
それから、清盛。
最近のこの人の、自分に都合のいい解釈しかしないっぷりは異常!
先週も兎丸の「お前とはやってられない! お前のしてる国づくりは盗人が物を盗むのと同じだ!」なんて科白が今生の別れの言葉だったってのに、兎丸が死んだ後、「俺の夢は兎丸の夢だった。だから、俺は死んだ兎丸のためにも成し遂げなければならない!」だなんて言ったりして、え? え? と思いましたが、
今週も「今は亡き我が主も大事にしていた朝廷の行事をないがしろにするとは何事か!」と怒る西光に「信西殿だったらきっと、俺のやることに賛同してくれるさ」と平然と言いきったり、「滋子が死んだからって、俺は今のやり方を変えない! それが長年俺とゴッシーの仲を取り持ってくれた滋子への供養だ!」とか。。。
誰が何しようが死のうが、「俺は今のやり方を変えない! このまま突っ走る!」で「皆だって、それを望んでる!」ですからね。非常に性質が悪い。
これじゃぁ誰もついてかなくなるよ。。。
あと、地味ですが、忠清が切なすぎる。。。
武士としての精神を必死に若い世代に伝えようとしているというのに、「もはや平家に武芸なんざいらねぇよ」と言われて……この前、公明正大な判断を下したにも関わらず全員から非難された重盛のようなやり切れなさ、悲哀があって……こういう人たちが追いやられ、現在の栄華に驕ってる連中ばかりがのさばっていく。これじゃぁ、滅んじゃうわけだよ。。。
そういや、政子ちゃん、えらく小綺麗になって!
で、頼朝はいつになったら夢遊病者の徘徊のような散歩を止めるのでしょうか?
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