壱号ブログ
雨月のブログです。BLサイト「イチゴウニゴウ。」運営中。
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微妙に大河…ではないんですが
今週の大河感想……と行きたいところですが、どうも大河の後で見てしまったN○Kドラマ「鬼太郎が見た玉砕」に思考の全部を持ってかれてしまい、とても感想が書けない…。
いや、大河で語られる「戦」と「鬼太郎が見た玉砕」の「戦争」を比べてしまったり何だりして、とてもいつものようなノリで書けない。
勘助、愛しの御屋形様の悪口言われてむっとしてるのねvvとか、緒形拳やっぱ、超絶カッコイイvvvとか(←書いてんじゃん!!)
しかし、それでも……う~ん。
戦争のことを自分のような人間が語るのはどうだろうとは思いますが、今日感じたことを記憶しておきたいので、書き留めておこうと思います。
いや、大河で語られる「戦」と「鬼太郎が見た玉砕」の「戦争」を比べてしまったり何だりして、とてもいつものようなノリで書けない。
勘助、愛しの御屋形様の悪口言われてむっとしてるのねvvとか、緒形拳やっぱ、超絶カッコイイvvvとか(←書いてんじゃん!!)
しかし、それでも……う~ん。
戦争のことを自分のような人間が語るのはどうだろうとは思いますが、今日感じたことを記憶しておきたいので、書き留めておこうと思います。
ドラマの中で何度も叫ばれていた「玉砕」。
私はこれを聞いた時、ふと最近大ハマリした「300」を思い出しました。
とても勝てるような戦いではないにも関わらず、大軍に少人数で突っ込み、華々しく散る。
あの映画を観た時。私は戦場で散る美学だり何だりで胸を熱くしました。
そして、戦いということにおいて、現在の大河で繰り広げられている戦を思い出し、これにもまた毎週ロマンを感じ、胸躍らせてきました。
しかし、このドラマで描かれた「玉砕」や「戦争」にそんなモノは全く感じなかった…。
いや、美学、燃え云々の話じゃない。それは分かっているんです。
何にしても戦争は愚かしいことで死に美を求めるなんて間違っていて、意味のある玉砕なんてないのだと。
けれど、なんて言えばいいんだろう…。
「300」や「大河」で戦う男たちにはそれぞれ守るべきもの、信じるものがある国があって、そのために命を賭して戦っています。そして、国は祖国のために懸命な彼らを裏切ることはない。
でも、今日のドラマの戦争にそんなモノはなくて……いや、祖国を思う気持ちはある。あるのだけれど、何かがどうしようもなく歪んでしまっている。
国民がいて初めてあるべきはずの「国」が消えて、上層部の個人的な思いこみや私欲だけが暴走し、死ななくていい人たちがどんどん死んでいく。
そして国のために、あんなに命を賭して戦い、傷ついて帰ってきた兵士たちに対して、「何で生き残った? 恥知らず」と罵り、死ねと迫る。
味方であるはずの、命を賭けて守るとしてるモノからそんなふうに言われては、兵士は何のために戦って死んだのか…。
それに彼らは狂ったナショナリズムに染まっている訳でもなく……。
ドラマが進めば進むほど、憤りと怒りと哀しさが込み上げてきました。
特に最後。水木先生と軍曹の幽霊が対峙する場面では、それが弾けて泣きそうになりました。
「自分は生き残った。今生きてこうして元気でいることが愉快だとも思う。だから……漫画の中で、自分を殺したんですよ」
あの言葉はずしりと来ました。
最近、ニュースでアメリカ人は原爆投下のことは「第二次大戦を早期終結に終わらせた、正しい作戦だった」としか認識されていないという事実を知った時は愕然としました。個人的に怒りさえ覚えました(私の住んでる県はそれにゆかりのある県なので…)
きっと、私以外にもそう思う人はたくさんいるはずです。
けれど、某国のように国をあげて抗議することはないんですよね。
そう考えてみると日本は過去は過去、今は今。よく言えば、僕らの遠い先祖が憎しみあってたとしても、今の僕らには関係ないさ、という先祖の恨みを引きずらない民族なんでしょう。
まぁ恨みを引きずることはよくないことだし、許して和解していかなきゃならないことも分かります。
でも、だからといって全部否定したり、忘れたりするのは駄目だと思うんです。
昔のことだって完全に切り離してしまうことも、あの戦争は全て間違ってたと否定することも違うんじゃないかなぁ。
今日のドラマを見て思いました。ちゃんと覚えておかなきゃいけないと。
恨みや憎しみを持ってではなくて、ただ昔こんな哀しい戦争があったことや、それでも多くの国民は国を大事に想っていたことなどを……ありのまま、大河で宇佐美さんが言ってたように、受け止めていかなきゃならない、とエンドロールを見ながらぼんやりとそう思いました。
……やっぱり自分がこういうことを書くのは気が引けるなぁ(滝汗)
私はこれを聞いた時、ふと最近大ハマリした「300」を思い出しました。
とても勝てるような戦いではないにも関わらず、大軍に少人数で突っ込み、華々しく散る。
あの映画を観た時。私は戦場で散る美学だり何だりで胸を熱くしました。
そして、戦いということにおいて、現在の大河で繰り広げられている戦を思い出し、これにもまた毎週ロマンを感じ、胸躍らせてきました。
しかし、このドラマで描かれた「玉砕」や「戦争」にそんなモノは全く感じなかった…。
いや、美学、燃え云々の話じゃない。それは分かっているんです。
何にしても戦争は愚かしいことで死に美を求めるなんて間違っていて、意味のある玉砕なんてないのだと。
けれど、なんて言えばいいんだろう…。
「300」や「大河」で戦う男たちにはそれぞれ守るべきもの、信じるものがある国があって、そのために命を賭して戦っています。そして、国は祖国のために懸命な彼らを裏切ることはない。
でも、今日のドラマの戦争にそんなモノはなくて……いや、祖国を思う気持ちはある。あるのだけれど、何かがどうしようもなく歪んでしまっている。
国民がいて初めてあるべきはずの「国」が消えて、上層部の個人的な思いこみや私欲だけが暴走し、死ななくていい人たちがどんどん死んでいく。
そして国のために、あんなに命を賭して戦い、傷ついて帰ってきた兵士たちに対して、「何で生き残った? 恥知らず」と罵り、死ねと迫る。
味方であるはずの、命を賭けて守るとしてるモノからそんなふうに言われては、兵士は何のために戦って死んだのか…。
それに彼らは狂ったナショナリズムに染まっている訳でもなく……。
ドラマが進めば進むほど、憤りと怒りと哀しさが込み上げてきました。
特に最後。水木先生と軍曹の幽霊が対峙する場面では、それが弾けて泣きそうになりました。
「自分は生き残った。今生きてこうして元気でいることが愉快だとも思う。だから……漫画の中で、自分を殺したんですよ」
あの言葉はずしりと来ました。
最近、ニュースでアメリカ人は原爆投下のことは「第二次大戦を早期終結に終わらせた、正しい作戦だった」としか認識されていないという事実を知った時は愕然としました。個人的に怒りさえ覚えました(私の住んでる県はそれにゆかりのある県なので…)
きっと、私以外にもそう思う人はたくさんいるはずです。
けれど、某国のように国をあげて抗議することはないんですよね。
そう考えてみると日本は過去は過去、今は今。よく言えば、僕らの遠い先祖が憎しみあってたとしても、今の僕らには関係ないさ、という先祖の恨みを引きずらない民族なんでしょう。
まぁ恨みを引きずることはよくないことだし、許して和解していかなきゃならないことも分かります。
でも、だからといって全部否定したり、忘れたりするのは駄目だと思うんです。
昔のことだって完全に切り離してしまうことも、あの戦争は全て間違ってたと否定することも違うんじゃないかなぁ。
今日のドラマを見て思いました。ちゃんと覚えておかなきゃいけないと。
恨みや憎しみを持ってではなくて、ただ昔こんな哀しい戦争があったことや、それでも多くの国民は国を大事に想っていたことなどを……ありのまま、大河で宇佐美さんが言ってたように、受け止めていかなきゃならない、とエンドロールを見ながらぼんやりとそう思いました。
……やっぱり自分がこういうことを書くのは気が引けるなぁ(滝汗)
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