壱号ブログ
雨月のブログです。BLサイト「イチゴウニゴウ。」運営中。
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「鏡地獄」感想
「 少なくとも私丈けは、彼は鏡の内部を冒したばっかりに、遂にその身を亡ぼしたのだという想像を、今日に至るまでも捨て兼ねているのでございます 」
【あらすじ】
Kの友人、「彼」は幼少期から鏡、レンズ、ガラスに嗜好を持っていた。中学で物理学を学び、「彼」は病的なレンズ狂となる。中学を卒業後、「彼」は庭に実験室を作り、籠もるようになる。
ある朝、Kは「彼」の使用人に呼ばれる。実験室に入ると、内部から笑い声の響いている大きな玉が転がっていた。「彼」は球形の鏡の中で発狂してしまったのだった。
乱歩短編集、第二作目。
鏡の世界に魅入られ、狂ってしまった男の話です。
これを読んだのはこれもかの「乱歩地獄」で取り上げられた話だったから……ということもありますが、題名に惹かれたからというのが大きかった。
個人的なことなのですが、どうも私は鏡というモノが苦手です。怖いと言ってもいいかもしれません。
子どもの頃に見た合わせ鏡がその原因です。
何処までも何処までも空間が続いていて、数え切れない程たくさんの自分がいる。こんなにたくさんの自分がいるなら、誰か一人くらい別の動きを見せたって全然不思議じゃないんじゃないか?
そんなこと考えて以来、いつ鏡に映った自分が突然ニヤリと嗤うんじゃないかとか、背景に何かありえないモノが映り込んでいるんじゃないかとか。絶対起こるはずがないと思いながらも、心の何処かでびくびくしていました。
だってそもそも、鏡って自分では見ることの出来ない処を映しているんですよね。背後にしろ顔にしろ、本当に鏡が映した通りになっているのかどうかは鏡から目を逸らさない限り分からない。
つまり「鏡が嘘を吐いている」のかもしれない。そして鏡から目を逸らし後ろを振り返った瞬間、鏡の中から何か出て来て襲いかかって来るんじゃないか? ……などという妄想に取り憑かれたことが一時期あったんです(←嫌な子ども…)
ではなんでそんな苦手意識があるのにこれを読もうと思ったのかと言えば、怖いと思いながらも惹かれてしまう何かがあったからでしょう。
そんな心持ちな元、読み始めたものだから数ページで語り部のKにどっぷり感情移入してしまいました。
なんか凄くよく分かるんですよね、Kの気持ちが。ただただ純粋に鏡って面白いと思ったかと思えば、自分の顔に出来たニキビのどアップとか苦しみ悶える蚤にドン引きしたり……んなもん見たくなかったっての!(笑)
というかもう、とにかくこの話。鏡の球体にいくまでの、読者への鏡がどれだけ摩訶不思議で美しくもおぞましいモノかという印象付けが巧過ぎるんですよね。
「へぇ~鏡って面白いんだねぇ!」→「鏡って凄いんだ!」→「凄い」を通り越して鏡は何か魔力のようなモノを持っているように思えて来る→鏡が得体の知れないおぞましい化け物に見えてくる。
そしてそれでも「彼」が鏡がのめり込むのも何となく理解出来てしまうことで不気味さがさらに増します(あんなに何でも出来ちゃったらね。もっともっと! と思っちゃいますよね…)
そして……
鏡は事実を映しているようでいて、事実を映していない。鏡に映っているのは自分に見えて、実は別人。僕らは覗いているようでいて、本当は覗かれているんだ。
こういう意味合いの言葉が出て来てからは、グッと鏡の恐ろしさが増してくる。
そういうことを踏まえながら、全面鏡貼りの球体に入ったらと想像してみる。するとどうなるか?
この話の中では球体の中で「彼」が何を見たのか書かれていません。
ただ、球体の出口が壊れてしまって彼が一晩中球体の中に閉じ込められてしまったことと、あそこまで鏡に魅入られながらも日常ではまともでいた「彼」が完全に壊れてしまったとだけ書かれてあるだけです。
それがますます怖い。
現代科学を用いれば球体の中を解明することは出来るんでしょう。
でもいくら理屈で解明し映像化しても、この話を理解する材料としておそらくは無意味です。
誰かがそこに入ったところを見たってきっと駄目なんです。
自分自身がそこに閉じ込められなければならない。そしてその鏡に自分自身を写さなければならない。
……と、Kが想像する球体の光景にそれを当てはめると……嗚呼。
ということで、自分の過去のトラウマも相まって楽しく(??)読むことが出来ました。
これを読んだのはこれもかの「乱歩地獄」で取り上げられた話だったから……ということもありますが、題名に惹かれたからというのが大きかった。
個人的なことなのですが、どうも私は鏡というモノが苦手です。怖いと言ってもいいかもしれません。
子どもの頃に見た合わせ鏡がその原因です。
何処までも何処までも空間が続いていて、数え切れない程たくさんの自分がいる。こんなにたくさんの自分がいるなら、誰か一人くらい別の動きを見せたって全然不思議じゃないんじゃないか?
そんなこと考えて以来、いつ鏡に映った自分が突然ニヤリと嗤うんじゃないかとか、背景に何かありえないモノが映り込んでいるんじゃないかとか。絶対起こるはずがないと思いながらも、心の何処かでびくびくしていました。
だってそもそも、鏡って自分では見ることの出来ない処を映しているんですよね。背後にしろ顔にしろ、本当に鏡が映した通りになっているのかどうかは鏡から目を逸らさない限り分からない。
つまり「鏡が嘘を吐いている」のかもしれない。そして鏡から目を逸らし後ろを振り返った瞬間、鏡の中から何か出て来て襲いかかって来るんじゃないか? ……などという妄想に取り憑かれたことが一時期あったんです(←嫌な子ども…)
ではなんでそんな苦手意識があるのにこれを読もうと思ったのかと言えば、怖いと思いながらも惹かれてしまう何かがあったからでしょう。
そんな心持ちな元、読み始めたものだから数ページで語り部のKにどっぷり感情移入してしまいました。
なんか凄くよく分かるんですよね、Kの気持ちが。ただただ純粋に鏡って面白いと思ったかと思えば、自分の顔に出来たニキビのどアップとか苦しみ悶える蚤にドン引きしたり……んなもん見たくなかったっての!(笑)
というかもう、とにかくこの話。鏡の球体にいくまでの、読者への鏡がどれだけ摩訶不思議で美しくもおぞましいモノかという印象付けが巧過ぎるんですよね。
「へぇ~鏡って面白いんだねぇ!」→「鏡って凄いんだ!」→「凄い」を通り越して鏡は何か魔力のようなモノを持っているように思えて来る→鏡が得体の知れないおぞましい化け物に見えてくる。
そしてそれでも「彼」が鏡がのめり込むのも何となく理解出来てしまうことで不気味さがさらに増します(あんなに何でも出来ちゃったらね。もっともっと! と思っちゃいますよね…)
そして……
鏡は事実を映しているようでいて、事実を映していない。鏡に映っているのは自分に見えて、実は別人。僕らは覗いているようでいて、本当は覗かれているんだ。
こういう意味合いの言葉が出て来てからは、グッと鏡の恐ろしさが増してくる。
そういうことを踏まえながら、全面鏡貼りの球体に入ったらと想像してみる。するとどうなるか?
この話の中では球体の中で「彼」が何を見たのか書かれていません。
ただ、球体の出口が壊れてしまって彼が一晩中球体の中に閉じ込められてしまったことと、あそこまで鏡に魅入られながらも日常ではまともでいた「彼」が完全に壊れてしまったとだけ書かれてあるだけです。
それがますます怖い。
現代科学を用いれば球体の中を解明することは出来るんでしょう。
でもいくら理屈で解明し映像化しても、この話を理解する材料としておそらくは無意味です。
誰かがそこに入ったところを見たってきっと駄目なんです。
自分自身がそこに閉じ込められなければならない。そしてその鏡に自分自身を写さなければならない。
……と、Kが想像する球体の光景にそれを当てはめると……嗚呼。
ということで、自分の過去のトラウマも相まって楽しく(??)読むことが出来ました。
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